キリストは神です
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聖書を理解するかぎは、イエス・キリストという方にあります。歴史上、イエス・キリストほど人類に影響を与えた人は、他にありません。同時に、イエス・キリストのように、奥義的な存在もありません。はたしてナザレのイエスは、単なる偉大な指導者、聖なる人物の模範なのでしょうか? 彼は人に過ぎないのでしょうか?
キリストが神です(1)では、以下のことを見ました。
キリストの誕生
キリストご自身による言葉
キリストが行われた奇跡
キリストの言葉
キリストに罪がないこと
キリストが罪を赦す権威を持っていること
さらに、彼の死、復活、昇天の事実によってキリストが神であることを見てみましょう。
キリストの特別な死
キリストの死は、彼が神であることを証明します。キリストは、地上で人として生活した後、死にましたが、この死は六つの点で特別なものです。
第一に、彼はご自身の死を予告しました(マタイによる福音書16:21)。さらに彼は、死んだ後三日目に復活することも予告しました。これは、彼の死が神の手によってあらかじめ定められていた死であることを示しています。
第二に、キリストの死は、その数百年前に、預言者があらかじめ告げていた預言の成就でした。旧約聖書の詩篇22:15-18は告げています。「わたしの精力は陶器の破片のように枯渇し、わたしの舌はあごに付いています。あなたはわたしを死のちりの中に置かれました。犬どもがわたしを取り囲み、悪を行なう者どもの集団がわたしを取り巻いています。彼らはわたしの手と足を刺し通します。わたしは自分の骨をすべて数えます」。
福音書の記録を読むなら、これこそまさにキリストが死なれた方法であることがわかります。キリストが十字架に架けられた時、彼の手と足は刺し通されました。血と水が流れ出ることによって起こった脱水症状は、その舌をあごに付かせ、彼の骨は浮き出て見えました。
第三に、キリストが死なれた時と方法は、彼の死の千五百年以上前に、旧約聖書で予告されています(出エジプト記12:3-6)。過越の祭りのために小羊は、傷の有無について調べられ、殺されました。これはキリストが十字架で死なれた時と方法を描写しています。キリストは十字架につけられる前、ユダヤ人と異邦人たちによって、六回も調べられましたが、何の落ち度も見いだされませんでした。また、彼の死は過越の日でした。
第四に、キリストは死ぬ直前に「完了した!」と言われました(ヨハネ19:30)。死は彼の生涯の終結ではなく、彼が達成された働きの絶頂を示すしるしとなりました。
第五に、キリストの死は超自然的な出来事を引き起こしました。キリストの死は、罪人のために人と成られた神の死です。キリストが死なれた時、正午に暗黒が全地を覆い、地が揺さぶられ、岩が避け、墓が開いて多くの死人の体が復活しました(マタイ27:45-53)。人々は非常に恐れ、彼を神の子、すなわち神であると認めたのです(マタイ27:54)。
第六に、キリストはすべての罪人の身代わりとして死なれ(ペテロの第一の手紙3:18)、全世界の罪のための犠牲として神にご自身をささげました(ヨハネによる福音書1:29、ヨハネの第一の手紙2:2)。キリストは人として、人の罪のために死ぬことができるだけでなく、神として、この世の罪の巨大な重荷を負うことができたのです。
結論として、キリストの贖いの死の永遠の効力が、キリストが神であることの証拠です。もしキリストが単なる人として死なれたのなら、その死の効力は永遠ではありません。神だけが永遠ですから、神によって達成されるものだけに永遠の効き目があります。
キリストの復活
キリストの復活は、彼が神であることを証明します。キリストが死なれ、墓の中にいたのは、七十二時間以内でした。三日目にキリストは復活されたからです。これは歴史的事実であって、どの歴史家もこれを覆すことはできません。彼は体をもって復活し、四十日間何度も弟子たちに現れました。多くの現代の批評家たちは、復活を当時の弟子たちがでっち上げた作り話として退けています。しかし、非常に多くの証し人が復活後のキリストを見ており、復活のキリストに出会ったことが彼らの生活に大きな変化をもたらしました。弟子たちはキリストが死なれる前、恐れに満ち、落胆していました。ペテロでさえ、三度も主を否みました。ところが、キリストの復活の後、この同じ人々が喜びに満ち、大胆になり、積極的になりました。どのような作り話も、そのような根本的な命の変化を起こすことはできません。弟子たちの宗教的妄想であったとも考えられません。彼らは責任ある振る舞いをし、冷静に語っているからです。初期の教会は、自分を欺く精神異常者の団体ではなく、正常で正直な、冷静な思いの信者たちの集まりでした。
イエス・キリストの復活は、人類歴史における最大の歴史的事実です。それは人類歴史の流れを変え、人がキリストにある新しい命を持つ道を開いたのです。
キリストの昇天
キリストの昇天と、彼が永遠に生きておられることは、彼が神であることを証明します。復活の四十日後、キリストは神の右に昇天されました(使徒行伝1:9,2:33-36)。今日、彼は王の王であり、主の主です(啓示録19:16)。彼は神です。そして全世界を支配しておられます。王たちや支配者たちは、自分の支配を記念するために暦を制定しますが、存続している唯一の暦はキリストの暦です。今日、すべての人がキリストの暦を使っており、それに気が付かないとしても、キリストが唯一の君主、最高の支配者であることを承認しているのではないでしょうか。
今日、全世界の出来事はキリストの御手にあります。彼は宇宙の真の行政官です。彼は悪、不義、不法がいつまでも存続するのを許されません。彼は人類に自分の運命を任せられません。人類歴史という大きな車輪の背後に、キリストご自身の全能の御手があるのです。
イエスを神と信じる
クリスチャンは宗教の教理を信じる人ではありません。クリスチャンは生きている救い主を信じる人です。イエス・キリストは二千年前に死なれましたが、今日も彼は生きておられ、永遠に生きておられます。もし、あなたがイエスを呼び求めるなら、彼はあなたの中に入って来られます。ただ真実な心で彼に開くなら、あなたは今なお生きているイエス・キリストというお方に出会うでしょう。