聖書の旅(創世記)サタン
第11回
サタンの起源
イザヤ書 第14章12節
「暁の星、夜明けの子よ、おまえは天から落ちてしまった!諸国民を打ち倒した者よ、おまえは地に切り倒されてしまった!」
神は地を創造する前に、天使たちを創造して、神の永遠の目的のために仕えさせました。
イザヤ書14章12節はサタンが「明(あ)けの明(みょう)星(じょう)(ヘブル語はルシファー)、暁の子」であったと告げます。明けの明星が星を導くものであるのと同じように、サタンはすべての天使のかしらであったに違いありません。「暁の子」という称号は、彼が宇宙の初期の、あけぼのの時代からいたことを示します。こうして、サタンは宇宙のあけぼのの時代から、天使のかしらであって、明けの明星のように輝いていました。
後ほど神に反逆して、神の敵サタンとなりました。
「創世記ライフスタディ」第2編(日本福音書房)
第12回
サタンの反逆の原因は、高ぶりと野心である
イザヤ書 第14章13-14節
「おまえは心の中で言った、
『わたしは天に昇ろう.
わたしは神の星の上に、わたしの座を高く上げよう。
わたしは北の果てにある集会の山に座ろう。
わたしは雲の高い所の上に昇ろう.
わたしはいと高き方のようになろう』。」
サタンが神に反逆したのは、心の高ぶりのゆえです。エゼキエル書第28章17節は、サタンは自分の美しさのゆえに心が高ぶり、彼の輝きのために自分の知恵を腐敗させたと言います。彼は、知恵に満ち、美しさにおいて完全でした。彼は「完全な印」であり、それは彼が完全の極致で、何の欠けたところもなかったことを意味します。しかしサタンは、自分の美しさを見つめて高ぶったのです。
サタンは傲慢にも五回、「わたしは……」と宣言し、彼の反逆の意図が、神の権威を覆し、自分を高く上げて神と等しくなることであることを示しました。
「創世記ライフスタディ」第2編、「イザヤ14:13フットノート」(日本福音書房)
第13回
サタンの反逆の目的
ローマ人への手紙 第13章1-2節
「すべての人は、自分の上にある権威に服従しなさい.なぜなら、神によらない権威はなく、存在している権威はみな、神によって定められているからです。ですから権威に逆らう者は、神の定めに反抗するのであり、反抗する者は、自らに裁きを招くでしょう。」
サタンの反逆の目的は、自分を高くして神と等しくなろうとすることでした。イザヤ書第14章13節から14節で、サタンは反逆の時に、五度、「わたしは‥‥しよう」と言ったことを見いだします。「わたしは天に昇ろう.わたしは神の星の上に、わたしの座を高く上げよう。わたしは北の果てにある集会の山に座ろう。わたしは雲の高い所の上に昇ろう.わたしはいと高き方のようになろう」。サタンは神と等しくなりたかったのです。それが、彼が神に反逆した目的でした。
サタンが神に反逆した時、天使の三分の一が彼の反逆に従い、堕落した天使、邪悪な霊どもになりました。今日、良い天使と悪い天使がいます。良い天使は神の側に立ち、悪い天使はサタンと同盟して神に逆らいます。
当時、地上に生きていた被造物も、サタンの反逆に加わりました。
「創世記ライフスタディ」第2編 (日本福音書房)
第15回
サタンは、今日もなお活動している
ペテロの第一の手紙 第5章8節
「慎んで、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように、歩き回って、だれかを食い尽くそうと捜し求めています。」
サタン、反逆の天使たち、悪鬼どもはすべて神によって裁かれましたが、彼らは今日もなお活動し、働いています。なぜなら、彼らに対する裁きはまだ執行されていないからです。ある日、それは完全に執行されます。今日、サタンはなおも神の所へ行って、神の民を訴えることができるのです。彼は今もなお地を行き巡り、だれかを食い尽くそうと捜し求めて、なおも活動して人々を盲目にし、欺き、彼らの心を満たし、わたしたちにつけ込もうとしています。反逆の天使たちはなおも、暗やみの世の主権者であり、悪鬼どもはなおも、地上で活動している汚れた悪の霊です。彼らに対する裁きはすべて執行される必要があります。
「創世記ライフスタディ」第2編 (日本福音書房)
第16回
祝福を得る道
ヤコブの手紙 第4章7節
「こういうわけで、神に服従しなさい.しかし、悪魔に抵抗しなさい.そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」
ペテロの第一の手紙第5章5節
「同じように、若者たちよ、年長者たちに服従しなさい.またあなたがたはみな、互いに謙そんの帯を締めなさい.なぜなら、神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」
権威はすべて神からです。これはあらゆるものが神によって秩序立てられているからです。もしわたしたちがどんな権威でも上へとたどっていくなら、最終的には神に達します。
神はすべての権威の上にあります。またあらゆる権威は神の下にあります。いったんわたしたちが神の権威に触れるなら、わたしたちは神ご自身に触れるのです。基本的に、神の働きは力によってではなく、権威によって遂行されます。
神はご自身の権威に属する言葉によって、あらゆるものを保持しておられます。創造は神の権威の言葉を通してなされました。神の言葉は神の権威です。わたしたちは神の権威がどのように働くかを知りません。しかしわたしたちは、神があらゆるものを彼の権威を通して達成されるのを知っています。
神ご自身以外のあらゆる人は、主イエスも含めて、地上では権威に従わなければなりません。家庭において、学校において、権威があります。
わたしたちは両親の権威の下に自分自身を服従させなければなりません。こ れもまた、わたしたちがまず神の権威を見ることを必要とします。
ウオッチマン・ニー全集第47巻「権威と服従」第2編、第7編
(日本福音書房)