聖書の旅(創世記)人が造られた目的

第1回

神の関心事

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創世記 第1章1節

初めに、神は天と地を創造された。」

 これは聖書の最初の言葉です。
 永遠の過去における神の記録はどうしてそんなに短いのでしょうか? それは、そこに人がいなかったからです。人がそこにいなかったので、神は記録するのにあまり興味がありませんでした。ですから、‥‥聖書の最初の文において、半分の長さだけが、永遠における神に関して述べています、「初めに‥‥」。これは永遠の過去におけることです。
 それから、次の半分は、時間についてです、「神は天と地を創造された」。神の創造は、永遠と時間との間の境界標です。創造の向こう側は永遠であり、創造のこちら側は時間です。しかし、この二つの面は一つの節に示されているだけです。‥‥
 なぜこの記録がこんなに短いのか神に尋ねるのでしたら、きっと神は次のように言われると思います、「あなたは永遠の過去において、はじめには人がいなかったことを認識していないのですか? わたしはそれに興味がありません。なぜなら、わたしは人の中にいたい、人と一つでありたいからです。わたしは人をわたしのような者にしたいのです。これがわたしの関心です」。
「人との結合における神の歴史」第2章 (日本福音書房)
 


第2回
創造における神の願いと目的

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*啓示録 第4章11節
「わたしたちの主また神よ、‥‥あなたは万物を創造され、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、創造されたからです」。
 
神の創造は彼の願いを満たし、彼の目的を達成するだけでなく、宇宙における彼の願いを啓示し、永遠における彼の目的を現します。わたしたちが作るものは何であれ、わたしたちの願いを表現します。わたしたちはあまり多く言わなくても、わたしたちが作るものはわたしたちの目的を現します。‥‥神の創造によって、神は願いと目的を持っておられたのを見ることができます。‥‥


 なぜ神は天を創造されたのでしょうか?

 彼の目的は何であったのでしょうか? 聖書をよく読むなら、天は地のためであるのを見ることができます。科学者たちでさえ、これを証明することができます。天からの多くのものは地のためです。日光、水、空間はすべて地のためです。それでは、地は何のためでしょうか? 聖書によれば、地は人のためです。ゼカリヤ書第12章1節は、神は天を延べ地の基を据え、人の霊をその中に形づくられたと言っています。天は地のためであり、地は人のためであり、人は神のためです。神は人を団体の実体として創造して、神を内容とし、神を表現し、神の栄光を現すようにされました。

「創世記ライフスタディ第1編」(日本福音書房)


*啓示録:または黙示録。啓示録は聖書の最後の書であり、全聖書、神聖な啓示全体の結論、完成、成就です。


第3回
人は器として創造された

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創世記 第1章26節前半
 「それから、神は言われた、『われわれのかたちに、われわれの姿にしたがって、人を造ろう.」
 
人が器として創造されたのは、神の目的を成就するためです。

人は、ある特別な目的のために、特別な方法で創造されました。原則から言って、すべての器は作り手が入れたい内容物を入れるために、特別な方法でデザインされ、形造られます。神が目的を成就するために取られた最初の手順は、器として人を創造することです。それは、人が神を内容とするためでした。
 この器は、神のかたちと姿をもって創造されて、神を表現し、神を代行します。人は内側で神のかたち(image)に創造され、外側で神の姿(likeness)に造られ、神の権威を与えられました。それは人が神を代行するためです。ですから人は動物のように「その種類にしたがって」いるのではなく、神の種類にしたがっています。

第4回
天、地、人の霊

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ゼカリヤ 第12章1節

 「イスラエルについてのエホバの言葉の託宣。天を延べ、地の基を据え、人の霊をその中に形づくられたエホバはこう告げられる、」
 

ゼカリヤ書第12章1節によると、神は天、地、人の霊という、ただ三つの重要なものだけを創造されたかのようです。これはただ三つのものだけがこの宇宙で重要であり、核心的であることを見せています。天は地のためであり、地は人のためであり、そして人は神のために霊を持っています。あなたはここで宇宙の目的、宇宙の意味を持っているのです。すべての星と惑星を伴う天は地のためです。地は天のためではなく、人のためです。地がなければ、人は存在することができません。地はわたしたちが目的を果たすために生きるのにちょうどぴったりなのです。人は教育、衣服、住居、娯楽のために存在するのではありません。人はただ神のためにだけ良いのです。人は神の器であり、神を内容とする器です。

「キリストを享受する生きた実行的な道」第1章(日本福音書房)

第5回

霊、魂、体

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テサロニケ人への第一の手紙 第5章23節前半
 「そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あなたがたの霊と魂と体とを守って、」
 

 神は人の器を、三部分から成る存在に設計しました。すなわち、霊、魂、体です。霊は、わたしたちの最も深い部分、内なる器官であり、神の知覚があって、わたしたちを神に触れさせます。魂は、わたしたちの自己そのもので、わたしたちの霊と体の間にあり、自己の知覚があって、わたしたちに人格を持たせます。体は、わたしたちの外側の部分、外なる器官であり、わたしたちを物質の世界に触れさせます。体は魂を入れており、魂は霊を入れる器です。
霊は、神に触れる器官です。
霊は、神を受け入れる器官です。
霊は、神の住まいとなる器官です。


人の霊、魂、体の図へのリンク
回復訳聖書」  Ⅰテサロニケ5:23フットノート   (日本福音書房)


第6回
霊、魂、体~人の霊(spirit)の由来

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創世記 第2章7節
そして、エホバ・神は土のちりで人を形づくり、その鼻の中に命の息を吹き込まれた.すると人は生きた魂となった。
ヨブ記第32章8節

しかし、人の中には霊があり、全能者の息が彼らに理解力を与える。
 

 人の内側には、神を受け入れ、神を内容とするための容器が必要です。今日のラジオは、外側の箱と、目に見えない電波を受けるための内側の受信機を備えています。創世記第2章7節は、人にはちりで造られた外側のからだと、神の命の息によって生み出された内側の容器、内側の受信機があることを示しています。この内側の受信機が人の霊です。
 人の霊が神の命の息から出て来たので、それは神の霊ととても近いのです。ですから、霊なる神と人の霊の間には伝達があり、人の霊は神と接触し、神と一になることができます。


「ウイットネス・リー全集1979年1巻上」
「創世記第2章7節フットノート」(日本福音書房) 

第7回
主の御名を呼び求める

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使徒行伝 第2章21節
そして、主の御名を呼び求める者はすべて救われる。

 

主の御名を呼び求めることは、わたしたちの霊を活用し、わたしたちの霊に触れるのに、最も簡単で、最も早く、最も良い道です。

 ある状況の中で、あなたは暗やみの中にいるという感覚を持つかもしれません。暗やみを追い払う最上の方法は、主の御名を呼び求めることです。あなたは「おお、主イエスよ! おお、主イエスよ!」と言うことができます。もしあなたが主の御名を呼び求めるなら、解放されるでしょう。 

「ウイットネス・リー全集1970年 第1巻上」(日本福音書房)