第31回
人の堕落から逃れる道―キリストの贖い

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創世記 第4章4節

またアベルも、彼の羊の群れの初子から、すなわち、その脂肪の部分からささげ物を持って来た。エホバは、アベルと彼のささげ物に目をとめられた。

 創世記第4章でわたしたちは、人の堕落から逃れる道も見ることができます。
アベルは啓示にしたがって神を礼拝しました。アベルが神にいけにえをささげたのは、自分の観念、思想、方法にしたがってではなく、神の救いの道にしたがってでした。カインとは異なり、アベルは「彼の羊の群れの初子から、すなわち、その脂肪の部分からささげ物を持って」来ました。


アベルは、ささげ物と血を流すことの必要を認識していました。彼は、自分は堕落した親から生まれたこと、そして自分は邪悪で、罪深く、神の目に汚れていることを知っていました。ですから彼は、群れの何頭かの初子をささげ、彼の贖いのために血を流し、神の満足のために脂肪を燃やしました。アベルは疑いもなく、両親から聞いたことにしたがって、これを行ないました。

アベルのささげ物はキリストを表しています。わたしたちも、わたしたちを清めるキリストの血を必要とし、わたしたちを覆うキリストを必要とします。

「創世記ライフスタディ」第23編 (日本福音書房



第32回
人の堕落から逃れる道―主の御名を呼ぶ

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創世記第4章26節
セツにも男の子が生まれた.彼はその名をエノスと呼んだ。その時、人々はエホバの御名を呼び求め始めた。

 
エノスという名前は「もろい、死ぬべき人」を意味します。堕落の後、人の生活がむなしくなっただけでなく、人はもろく、死ぬべきものとなりました。わたしたちはもろく、弱く、壊れやすいものであることを、認めなければなりません。わたしたちは何と容易に衰えることでしょう!

人は死ぬものです。だれ一人、次の週に生きるのを誇ることはできません。だれも自分の明日がわかりません。人の第二の堕落を逃れるためには、人の生活のむなしさと、人のもろさの両方を認識する必要があります。この認識を持つなら、わたしたちは自分に信頼しないし、こうして、せん越にも神の道から去って行くことはないでしょう。

わたしたちはせん越であってはならないこと、神の道にしたがって神のために生き、神を礼拝すべきことを見て、人の生活のむなしさと人のもろさを認識する時、「おお、主よ、わたしはせん越であってはなりません。わたしはあなたの道によってあなたのために生き、あなたを礼拝しなければなりません。主よ、わたしの生活はむなしいです。わたしはもろく、死ぬべきものです」と言うでしょう。自分の生活のむなしさ、自分がもろいことを見る時、わたしたちは自然に主の御名を呼び求めるでしょう。

「創世記ライフスタディ」第25編 (日本福音書房


第33回 
人の堕落から逃れる道―神と共に歩む


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創世記 第5章22-24節

エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神と共に歩み、息子たちと娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

人の堕落の究極的な結果は、死です。あなたは死から逃れる道があることを知っているでしょうか?

エノクは主によって取り去られ、※携え上げられた第一の人でした。携え上げられることを期待するならば、あなたは神と共に歩む必要があります。神と共に歩むとは、神を愛すること、神をわたしたちの中心、またすべてとすることです。

聖書は、神がエノクと共に歩かれたとは言っていません。それは、エノクが神と共に歩いたと言っています。エノクは、昼も夜も、三世紀以上にわたって、日ごとに、神と共に歩みました。神と共に歩むためには、神と共にいなければなりません。それは、あなた自身を否むこと、あなたの思うことや愛することを否むことです。それは、あなたが神に降参して、神にリードを取っていただくことです。

「創世記ライフスタディ」第26編(日本福音書房) 

 

 ※携え上げ

 神によって取られ、死を見ないという褒賞